寝言

全部寝言なんで

 

 

めいっぱい楽しんだら、脚が痣だらけになって切り傷までついてた。幸せな時にできた怪我はなんだか可愛らしいので、たまに名前をつけたりなんかする。え、変ですか?まあそれは私の勝手だから置いとくとして、

好きなことできんのも今のうちなんだよな。どうしたって時間は止められないし社会は回っていくし、すでに五月病は迫ってきている。我慢したり未来のために努力するのはなによりも大事だとは、私も思う。それって悲しいことだよな。いろんなこと気にしながらも好きなことできんのは今のうちだし、なんにも気にせずに好きなことをするのは、こんな年齢になってからはどうしたって不可能だ。もちろん例外もあるけど。

悲しいじゃんそれって。でもそれが当たり前の風潮あるし、誰にも文句言えないし仕方ないことだから、悲しいのをどこに捨てればいいのかわからない。上手く捨てる方法を考える間もなく時間は過ぎていくから、先のことは考えなくちゃいけない。みんなそうしてるんだよね。

なんで生きるのってこんなに苦痛なんだろう。学校なんて行かないでもいいんなら全然行きたくない。お金だって、私の家がお金持ちだったらバイトなんてしたくない。別に学校もバイトも友達はいるしそれなりにこなせてはいるけど、行かないでもいいよって世界があるとしたら私は今すぐどっちも辞めて、ずっと家から出ないで、お母さんが死んだら私も死んで一生を終えたい。それが人間の理想じゃん、たぶん。なにもかも捨てられたらそれが一番、楽で幸せだと思うんだ。

だから私が書くとしたらそれは手紙じゃなくて、遺書なんだよな。先のこと考えなきゃいけないのをわかりながらも好きなことをできるのは今のうちだから、めいっぱい今を頑張りたい。今楽しんでおかないと、この先もう一生好きなことできる時間はこないかもしれないんだし。そうなってからどうにかしようとして、どうにかなるんだったら何よりだけどね。まあ、無理でしょうね。私は人生が終わった時にそう伝えるつもりだから、貴方は後悔しないように、上手に消化する方法を考えてね。