寝言

全部寝言なんで

だらしないだけなんだけどね

 

 

前にも書いたけど、飽き性で物事にあまり興味を持てないのがほんのりと悩み。何かに熱を注ぐってことが、まあ一瞬はできても絶対に続かなくて、惰性というか変化が億劫だったり楽しいしなーくらいの気持ちで続けるとかばっかりで、すごく高い熱量で夢中になったようなことって人生で何かあったかな?そもそも長時間自主的に向き合うのが苦手なので、勉強も本当にしてこなかったし。絵も向上心とかはないので気が向いたら手癖で描くようなかんじだし。アイドルに関しても、何枚もCD積んだりグッズを集めたりはしない。部活もバイトも、ドラムもそうだったけど、楽しいし機会が与えられてるから続けられたに過ぎないしなあ。他人の考えてる事はすごく気になるタイプだけど、かといって『どうでもいいや』ってフィルターが外れたらもうそれこそ熱がふっと冷めてしまう、これは本当によくないけど。その分自分が完全燃焼しちゃって悲しくなるような事はあまりないから、ぶっちゃけコスパのいい生き方ではあるとも思う。でも結局それって最後には何一つ私に残ってないんじゃないか?って思って、なんていうかすごく焦る気持ちにはなる。努力できない、努力しようと思えるほどの熱量が私の中に生まれない。なんとなくだけで成り立たせてきた自分っていう存在が、中身はスカスカの空洞で安っぽい。逃げ癖ついちゃっててすぐにどうでもよくなっちゃうのどうにかしないとなって。

 

 

怖がり

 

 

幸せのために生きるより、逃げるために消えてしまいたい。嘗められてばっかりだった、自分の何がいけないのかわからない、悔しくて悲しくて何回も産まれ直したいって頬拭った。どこで何したところで誰だって撃たれるのに、私はそんなの耐えられない。むかつく、しね、って喉の奥で噛み付くことしかできないことが私は辛い。大人になりたくない。正義を抑えて飲み込むことが大人のあるべき姿だなんて信じたくない。そんなのおかしいって、誰かに言ってほしい。

 

 

0:35

 

 

夜の半分を見送ってからふざけあった

心地良い湿度に充てられて

君が口ずさんだ鼻歌は知らない曲で

少し苦くなった

君は笑うのにひんやりと冷たい手をしている

息をしていない優しさが零れている

僕の無償の愛を打ち砕くような

真っ新できらきら光っている残酷

奪い去ってしまいたくなる

気づかれないようにすぐ視線を逸らして

指で星をなぞるように熱を放った

かけがえないはずなのになぜだか苦くて

目の奥がツンと痛んだ

 

 

厄介なやつ

 

 

私を苦しませていたものがなくなる時、そいつは一緒に私をつくっているものも連れていってしまった。これから先もそう。私みたいな人間はきっと、適度な不自由を身につけることで自分を生かしてあげられるんだと思う。それはもともと、私の中には何もないから。不自由とか邪な好きとか、そういうのが私の中に良いものと悪いものをたくさん増やしていって、私が生きている。結局私は細胞レベルで苦しい人間なんだな…。苦しいものほど愛おしくて、逃げたいのに手放したくない。私が自覚しているだけで、何も特別なことではないのだけど。

 

 

 

 

 

お元気ですか

 

 

とても久しぶりにブログを開いた。お元気ですか?私は、まぁ、身体だけは幸いにもずっと元気なままです。

最後にブログを書いてから、4ヶ月以上経ってしまいました。この4ヶ月で、いろいろ変わってきた。世の中は以前よりも切迫した状況に差し掛かって、寒さは厳しいものになって、楽しみにしていた物事がどんどんなくなってしまって。

叔母の難病は2年以上前に発症してゆるやかに進行していたのですが、この一年、いや、ここ数ヶ月の間に著しく進みました。発症してからの一年は、喋りが遅くなる症状と、右手が動かしづらくなる症状。少し進んでからは言葉が詰まったり、右手で食事や文字書きが難しくなってしまった。そしてそこからは、どんどん出てこなくなる言葉と動かなくなる右手、左手も自分の思い通り自在に動かすことがなかなか困難。スマートフォンと電話が使えなくなり、外に歩いて出かけることができなくなった。で、この数ヶ月。声はすごく小さくなってしまって、食事もトイレもお風呂も、朝ベッドから起き上がるのも自力ではできなくなってしまった。毎日朝がばっと起きてすぐに、母と一緒に叔母の家に向かい、夜ベッドに寝かしつけてから家に帰っている生活をしています。足が悪い母は、私よりも数百倍しんどい日々だと思います。それでもテレビを観て笑ったり、バイトや教習所がどうだったかを聞いてきたり、一生懸命みんなで生きている。

終わりが見えない毎日に絶望しっぱなしではあるけど、一日一日を尊んで過ごしています。自分より恵まれている人も、また違った大変な環境にいる人も、世の中がこんな状況になったことで前以上に顕著にわかるようになった。特に私は、『家の中での時間に余裕がある人』に対してひどく劣等感を抱くようになりました。もちろん昼間の数時間や寝る前の数時間、私にも時間はある。その時間の中で私がすべき勉強や仕事もある。でも、一日のたった数時間くらいは、全部忘れて自分の好きな時間を過ごしたいと思って、甘えてしまう。

暗いことを考えてしまいますね、やっぱり。ニュースでも同じ話題ばかりで、あの頃斑尾でばかばかたばこを吸いながら頑張ってたような、あの頃くら寿司で笑い転げてたような、あの頃打ち上げで嵐を大熱唱してたような楽しい時間は、もう一生戻ってこないのかな。最後の楽しみがいくつも繰り上げられて終わってしまった。

例の如く、収集がつかなくなりました。とりあえず私の近況はこんなかんじです、知っとるわ!って思われるかもしれないけど、自分の記録としてもブログに残しておこうと、書きました。絶望しっぱなしの毎日の中で、好きなアイドルのグッズを買ったり、バイトの日に丁寧にメイクをしたり、大好きなマカロンを食べたり、夜帰り道で月を探したり、たくさん自分のご機嫌を取ってます。生きてるだけでも大変な分、自分で自分を褒めてあげられたらいいなと思います。

早くみんなに会いたいです。

 

 

 

 

 

あきっぽい

 

 

どうしようもない飽き性である。アニメの第2期を観たことなんて数えるくらいしかないし、メロンパンはもう一生分食べた。毎日髪を切りたくてムズムズしてるし、ゲームだってしばらく電源すら入れてない。心から好きだと思うことに自信がなくなった。後から思い返して、実は一時的に盲目になってたんだな…あれ?なら私はそもそも好きになってすらいなかったのか?そう考えたらそれは問題である。私がなにかを好きになる資格なんてあるのか…?胸を張って、「これが好きだ!」と明言できるものはあるにはある。ただ、自信のないものが多すぎたせいで、これからもなにかを好きになる自信がゼロに近くなってしまった。続くことの難しさ、尊さとは当たり前のようで当たり前ではないのだ。永遠に続くものなんて、そう多くはないのである。だから私は永遠を誓えないのだ。

 

 

 

癖が再発しつつある

 

 

しゃがみ込んで視界が全部遠くになったらえらく気が楽になった。やっぱりあそこにいるべきは私じゃなかったってやっと受け入れられるようになった。ずっと会っていないと、距離も気持ちも忘れちゃって、その存在自体元からなかったみたいな。悲しい、忘れていくことがなによりも悲しい。一方的でも途切れないすべてを離さずにいられたら、いつもそう考えているのに、手の間をすり抜けていくものばかりで、私自身なにを繋ぎ止めているのかわからない。言葉とか気持ちが欲しいんじゃない、早く終わらせてくれることが私の最後の出口なのに。