寝言

全部寝言なんで

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ぬるま湯みたいな空気が纏わりついて、なんとなく気持ちが悪い。突き刺さる寒さの方が苦手ではあるけど、この生温かさは身体に良くないような気がする。雨女ではないと思うんだけど、私がお出掛けをする日はいつも百点満点の天候ではない。雨、銀色の空が多い。日の光がきらきら反射するコンクリートがそこにあっても、突き刺すような寒さを風が運んでくることも多い。その反動でもあるのか、今日みたいな生温かさに違和感を覚える。

退屈な日々を愛おしいと思えなくなってしまったのは、歳を取ったということだ。自分自身『けち』になってしまったなあと思う。貯金することを常に考えているせいで、「もったいない」という感覚が全身に常在しているから、悪い意味で計画的な人間になった。そのくせ、その時に食べたいものは絶対に食べてしまうし、家ではテレビをつけながらごろごろしてしまう。計画的というよりただ『けち』なだけか。いずれにせよまだ上手に社会に適応できていない自分が情けない。

昨日就職ガイダンスに参加した。俯きながらではあったけど、一睡もせずちゃんと耳を傾けて話を飲み込んだ。しかしなんというか、大人や社会というのは、私たちを不安にさせたいのか安心させたいのかよくわからない。よくわからなくて、曖昧にぼやけた不安だけが膨らんで1時間が終わった。10代のうちに死ねたら、とどこかで期待していた私は先のことをなにも考えないまま20代になっていて、時間の経過に追いつけない。暖かくなったことが喜ばしくもある反面、夏が来て、これからのことと向き合わなくてはいけなくなることが怖くて、今年はこの暖かい空気を素直に受け入れられない。放棄してしまうのも手ではある、でも私には勇気がない。この生温さがどうも自分の体温と同じもののように感じられて、悲しくなる。私だけが置いていかれる世界で、なにもかも放棄できることならどれほど幸せで呆気ないだろう。私にとっての幸せって、どれが正解なんだろう。