寝言

全部寝言なんで

微睡

 

 

胸ん中には鮮烈に焼き付いたままなのに、脳みそにはアブストラクトな記憶しか残っていない。忘却は自然だ。人体は吸収と排出の仕組みでしかできていないということで、それは本当にすべてにおいてだ。時計の針を止めることはできても、私たち自身はサイクルをし続けていて止まることができない。水は濁って、りんごは茶色くなっていく。時計の針は止まったままなのに、蚕は繭を紡ぎはじめる。明日世界が終わるかもしれないのに、昨日の記憶はもう透けている。去年の今頃よく聴いていた曲を聴き直してみると、あの感覚がなんとなく蘇ってくるけど、あの頃のことなんかまるで覚えちゃいない。いっそこの身ごと、天井に揺れる波に流されて、何光年も先の海に消えていけばいいのに。